1 2005年 02月 26日
『チャイナタウン』
CHAINATOWN (1974年・アメリカ) 1930年代のロサンジェルス。 私立探偵のギティスは、ミセス・モーレイと名乗る、固そうな女性から、主人の浮気調査をして欲しいという依頼を受ける。 ミスター・モーレイは、水道局の役人だった。 ギティスが調査のために赴いた公聴会では、水不足に悩むロスの郊外の土地に、ダムを建設すべきか否かについての発表が行われており、モーレイは、その土地の土壌が問題だとし、ダム建設に反対を唱えていた。 その後、モーレイが夫人以外の若い女性と親密そうにしている現場を押さえたギティスは、証拠写真も撮り、これで調査も無事に終えたと思っていた。 だが、その浮気現場の写真が、どういうルートでか、ゴシップ新聞に暴露されることとなり、モーレイ夫人が、ギティスの探偵事務所に弁護士を従えて、乗り込んできた。 しかも、その美しい女性は、最初にモーレイの浮気調査を依頼した、ミセス・モーレイと名乗った女とは別人だった。 そして、数日後、ミスター・モーレイが溺死体として発見された。 自殺だとする警察の見解に反し、ギティスは、これがダム建設と関わる殺人だと推測するが・・・。 以前、チャイナタウンの警官を務めていた、ニヒルな私立探偵ジェイク・ギティス役には、ジャック・ニコルソン。 そして、どこか陰のある美貌の人妻には、フェイ・ダナウェイ。 巨匠ロマン・ポランスキーが手がけた、哀愁漂うハードボイルド映画です。 かなり前から、この映画が良いというのは、何度も耳にしていたのですが、やっと見ることが出来ました。 これでも、アメリカのハードボイルド、特に私立探偵物は結構、好きなほうで、お気に入りの小説もたくさんあるのですが、いったん、小説が映画化されると、どうも、原作のハードボイルド・タッチの雰囲気がうまく生かされていないなあ、と不満に思うことが多くて。 (たとえば、レイモンド・チャンドラーが作り出した私立探偵、フィリップ・マーロウ物など。ボガードがマーロウを演じた『三つ数えろ』は、まだしも、他の作品は、何だか、マーロウのイメージと随分違うなあと落胆した覚えが・・・) それに反して、この映画は、徹頭徹尾、ハードボイルドな作品に仕上がっていて。 何者かに命を狙われながらも、タフに、謎に包まれた陰謀を追う私立探偵と、未亡人となった美しい人妻とのロマンス。 ポランスキー監督自身が、脚本家ロバート・タウンによる元の脚本に、かなり手を入れて、複雑なストーリーを分かりやすく仕立て直したというだけあって、映画の為のオリジナル作品でありながら、これがミステリ小説であれば、ぶ厚い一冊になりそうなところを、うまく、コンパクトにまとめています。 (アカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞) また、名匠ジェリー・ゴールドスミスによる、切ない、ジャジーな音楽もまた、30年代当時の雰囲気を大いに盛り上げています。 そして、やっぱり、何よりも、ジャック・ニコルソンの渋い演技と、フェイ・ダナウェイのカッコ良さ! まさに、これこそがハードボイルドという、二人の大人の遣り取りは、絶品。 70年代の映画でも、古さを感じさせずに、十分に楽しめます。 CGやアクションといった小手先は無用。 シンプルな作りでも、これだけ完成度を上げられるんだという見本のような作品でしょうか。 探偵ギティスが殴られ、意識を失うと同時に、画面もフェイド・アウト。 そして、彼が意識を取り戻すと、カメラはギティスの目が捉えたものを映し出す、という手法を使って、観客がギティスと一緒になって、ストーリーを追い、謎を追っていけるように、映画を撮った、ということを監督が当時のインタビューで答えています。 今では、それほど、珍しくもない手法ではありますが、当時は、まだ、そんなに広まってはいなかったのかな? ところで、ポランスキー監督自身も、ギャング役として出演しています。 すっごく、悪役顔です・・・((^^;; そして、映画のラスト・シーン。 撮影日当日になっても、まだ、結末をどうするか、決めていなかったという、ポランスキー監督の言葉には驚かされますが。 結局、このような結末を迎えることになった、正義と悪とについての、監督のニヒルな視点には、やはり、彼自身の、ユダヤ人としてホロコーストを体験した子供時代の記憶が関係しているのかも知れません。 ![]() このストーリーの続編が、『黄昏のチャイナタウン』という映画になっているとか。 同じく、探偵ギティスが主役で、監督は、そのギティス役のジャック・ニコルソン。 脚本は『チャイナタウン』と同じく、ロバート・タウン。 大好きなハーベイ・カイテルも出ているということなので、これもまた絶対に見てみたい作品ですね。 ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-26 10:55
| 映画
2005年 02月 24日
『ザ・ハリケーン』
The Hurricane (1999年・アメリカ) 黒人ボクサーの「ハリケーン」こと、ルービン・カーターは、貧しい生まれや、少年院出の過去を克服し、見事、ウェルター級チャンピオンとなり、まさに人生の絶頂を味わっていた。 だが、突然、彼は強盗殺人罪で逮捕され、翌年、身に覚えの無い罪で、終身刑を言い渡されることになる。 ルービンは、自分は無罪なのだからと、刑務所で、囚人服を着ることを拒否し、無罪を主張するための自伝を執筆する。 実に、有罪判決から七年後、彼の自伝が発売され、著名人らによる釈放活動が活発となったが、その後の再審でも、また同じく、州裁判所はルービンに有罪を言い渡し、それ以降、彼を支援する活動もまた、消え去ってしまっていた。 数年後、隣国カナダで、たまたま、その自伝を手に取った黒人少年がいた。 少年は、ルービンの境遇や信念に感動し、刑務所に手紙を送ったことが、きっかけで、ルービンとの交流を深めることとなる。 そして、少年が中心となり、事件から約20年後、ルービンの釈放活動が再び始まったが・・・。 人種差別と、冤罪の恐ろしさを描いた、実話に基づいた映画です。 主演のデンゼル・ワシントンは、ボクサーの「ハリケーン」役を演じるために、27キロも減量したとか。 彼の素晴らしい演技は、もう、言わずもがな。 虐げられ、人権を踏みにじられようとも、それに屈しない、意思の強さを肉体的にも、精神的にも、見事に表現しています。 映画にも映像が挿入されていますが、ボブ・ディランが「ハリケーン」という歌を作り、ルービンの冤罪を歌ったこともあり、アメリカでは、かなり有名な事件だったようです。 でも、その支援活動も、再審での有罪判決を機に、すっかり影を潜めてしまい、ルービン自身も耐えることに限界を感じ始めていた頃、事件から十五年以上も経って、たった一人の少年によって、ルービンに救いの手が差し伸べられようとは。 まさに、事実は小説よりも奇なり、というか。 映画の中で対照的に描かれるのは、人間の差別意識の醜さと、そして、見返りを求めない愛情。 生意気な黒人を排除するため、そして自らの地位や大金を得るため、一人の人間を謂れの無い罪で有罪にし、何十年も投獄させるという、人間の浅ましさには、絶望させられると同時に、それに屈しようとしないルービンの姿や、また、友情のため、そしてこの新しい友人のために、自分たちが危険に晒されても、真実を探し出そうとする人々の姿に、感動させられるのです。 果たして、事件から二十年近くも経って、ルービンの無罪は証明されるのか? ちなみに、少年役を演じるヴィセラス・レオン・シャノンは、『24』でキース・パーマー(パーマー上院議員の息子)を演じた彼です。 キース役は、かなり生意気でしたが、この役では、とても一途で可愛い少年で。 当時から、すごく演技力があったんだなあと思わせてくれる、ピュアな演技をしていて、好感が持てます。 そして、少年と同居している青年の一人を演じたのは、『ハムナプトラ』のヒロイン、エヴリンの兄で、ちょっと(かなり?)頼りないジョナサンを演じた、ジョン・ハンナ。 彼の、すっとぼけた味をした顔が、実は私、好きだったりするのですが(笑) 時代劇で言えば、大店の若旦那なのに、ふらふら遊び歩いている彦さん、とか、そんなイメージでしょうか(笑) (あと、宮崎アニメの『名探偵ホームズ』で言えば、敵役モリアーティ教授の、かなり頼りない手下、のっぽのスマイリーかな?←かなり暴言かも・・・((^^;; いや、でも、雰囲気がそっくりなんですよ~) 彼は『フォー・ウェディング』にも出ていて、やっぱり、その憎めない人柄で、主人公チャールズの友人を演じています。 もう、彼が出てくると、絶対に良い人だよ、この人~(><)とすぐに信じてしまうほどの「いいひと」顔なので(笑) (彼が悪役だなんて、まず、ありえないと思う・・・((^^;;) この『ザ・ハリケーン』も、ある意味、とても暗く、とても深刻な映画ではあるのですが、彼がいてくれることで、彼が画面に出てくれることで、束の間、ほっとできるというか。 ちょっとマニアックなポイントではありますが、ジョン・ハンナは、そんな貴重な役者さんで、好きなのです★ あ、デンゼル・ワシントンについては、あまり語ってませんね((^^;; でも、私がここに書かなくても、彼は「アメリカの良心」の一人なので。 『ザ・ハリケーン』を彼が演じることに、とても興味を持った時点で、この映画は成功したも同じことだったでしょう。 とにかく、勇気や愛情、そして人間の強さを実感させてくれる作品です。 ![]() ちょっとネタバレ ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-24 09:32
| 映画
2005年 02月 12日
『海辺の家』
原題;Life as a house (2001年・アメリカ) 建築家のジョージ(ケヴィン・クライン)は、犬一匹とともに、海辺の古ぼけた家で気ままに暮らしていた。 彼の離婚した妻は、すでに別の男性と再婚していて、ジョージとの間に出来た息子は、すでに高校生だったが、反抗期で誰の手にも負えなかった。 そんな中、ジョージは、長年務めた建築事務所からクビを宣告される。 そして、その帰りに、ジョージは突然、意識を失い、倒れてしまう。 病院に運ばれた彼に宣告されたのは・・・。 余命僅かとなって初めて、失ってしまった家族の絆を取り戻すため、息子とともに、家を建てようとするジョージ。 それは、今までに数多くも設計してきた、他人の家ではなく、初めての、自分のための家だった・・・。 家族の再生をテーマにした映画は数多くあり、これも、そんなよくあるパターンなのかなと思っていました。 というか、3ケ月も前に録画してあった、この映画を、どんなお話なのか、よく知らないまま、今頃観たものですから、冒頭の、あまりに呑気で怠惰な主人公、ジョージの生活を見ていて、最初は、家族再生がテーマのシリアスな映画だとは思わなかったほど((^^;; 確かに、離婚した妻と、手放した息子との和解という設定は、ありがちですし、『恋愛小説家』(←ジャック・ニコルソン主演の、大好きな映画なのです)の脚本を書いた、マーク・アンドラスが、いったい、どう味付けしてくれるのかなと思っていたのですが・・・。 でも、この映画でセンスがあり、むしろ、ありがちな設定から、さりげなく感動を引き出してくれたのは、俳優さんたちの力量でした。 ケヴィン・クラインは、どちらかというと、コメディ向きというか、軽い話向きの顔だと思っていたので、途中までは、この主人公には合ってないんじゃないかなーと思っていました。 その人が送ってきた人生というものは、40代にもなると、自然と顔に出てくると思うのですよね。 その人が抱え持つ「暗さ」というものもまた、どう隠そうとしても、目や表情に潜んでいるものだから。 そういう意味でも、冒頭の軽いイメージのままなら、ケヴィン・クラインでも十分だったのですが、実は、ちょっと複雑な背景を持っていたことが明かされて、そんな主人公の語りを聞いていると、明るい飄々とした顔じゃ、この役には合ってないだろうと、ますます思えてきて。 やっぱり、これは、ミスキャストだったんじゃないかなあ、と思いつつ、違和感を感じながらも、そのまま見ていると・・・。 時間が経つにつれ、じわじわと命を蝕んでいく病気と戦う、彼の姿が、とにかく、もう真に迫っていて。 あれほど、軽いイメージだったはずのジョージが、どんどんやせ細っていき、惨めな様子になっていくのです。 最初が、病気とは程遠い様子だったからこそ、ますます、その違いが歴然となってきて・・・。 ああいう人生を生きてきた人間としては、どうなのかな、という思いも、もう、どうでもよくなってきていました。 映画を見終わって、ケヴィン・クラインの演技力を見せ付けられた感じでしたね。 おみそれしました(><) そして、何より、この映画で一番輝いていたのが、ジョージの息子サムを演じていた、ヘイデン・クリステンセン。 最初は、顎にピアスはしてるわ、シンナーは吸うわ、ドラッグはやってるわ、いかにもマリリン・マン●ンのファンらしく、ダーク系のメークはしてるわで、綺麗な顔立ちなのに、ものすごく、印象が悪くて(笑) でも、そんな彼の顔には、深い暗さがあるんですよね。 もう、どうしようもない所まで堕ちてしまっていて、救いようのないヤツだと自覚していて、自分のことなど、どうなってもいいと思っている、悲しみと暗さが。 そんな彼が、父親であるジョージとの確執を乗り越えて、少しずつ変化していくわけですが・・・。 とにかく、まだ若いのに、とても新鮮な演技をしてくれるなあ、とすっかり感心してしまいました。 彼がこの役をやったからこそ、ともすれば無難なありきたりの映画になりそうだった、この映画が、そうじゃなくなったような気もします。 彼が醸し出していた、不安定さが、これまた、とても良かったし。 実際、彼は、この映画での演技で、その年のナショナル・ボード・オブ・レビュー躍進演技賞を受賞しているそうです。 もう、それだけの演技は十分にしていたと思いますよ(^-^) これはまた、将来有望な俳優さんだなあ、と思っていたら、実は、すでに『スター・ウォーズ エピソード2』に出ていて、アナキン役を演っていたんですって?! もちろん、そうなると、今夏公開のエピソード3にも出ているわけで・・・。 もうすっかり、ハリウッド俳優の仲間入りですねー★ このサムの相手役というか、ガールフレンドのアリッサ役の女の子も、とても若々しい演技をしていて、この二人がとにかく良かったかな。 今のアメリカの若者たちの生活や考え方が、とてもうまく描かれていて、センスある演技で演じられていたと思います。 原題のタイトルにもなっていますが、「家を建てる」ということは、ある意味、人の人生と似ているのかも知れない。 まさに、ジョージが作ろうとしていた家は、そんな感じでした。 これが日本だと、家を建てる行為は全てにおいて、ゼネコンや大工さんにお任せ状態ですが、DIYの盛んな欧米では、家を一から建てるとまではいかなくても、壁紙を張ったり、部屋の改装をしたりというのは、ごく、家族内での(特に父親の)作業になることが多いですもんね。 ジョージの周りにいる多くの人々が協力して、家が建っていく様子を見ていると、人生も、こんな風に、たくさんの人がいろいろな所で協力してくれたり、支えてくれたりしているんだなあと、しみじみと思ってしまいました。 ストーリー的には、あまり褒めるところを見出せなかったこの映画ですが。 でも、いくつかのセリフには良いものがあって、その辺りは、さすがだったかと。 ジョージの別れた奥さんが呟くセリフに、私は人生で失敗ばかりしてきた気がする、という、そんな意味のものがあったんですが。 再婚後、今は大きな家に住んで、メイドまで雇って、裕福な生活をしているはずの彼女がそんな言葉をさりげなく呟くのを聞くと、自然と、ああ、そういうものなのかも知れないなあ、と思ってしまいました。 この映画に出てきた人、全てが、結局は、それまで失敗ばかりしてきていたわけですよね。 失ったものばかりが多くて。 ジョージも、彼の元・奥さんも、彼女の今のダンナさんも、サムも。 でも、人生の最後の最後になって、やっと、家族との絆を作ることが出来たジョージは、果たして幸せだったのかどうかと思うと・・・。 最後のチャンスにならないと、本当に大事なものって見えてこないものですよね。 『母の眠り』のときにも思ったことですが、こういう映画を見たあとで、改めて、自分の生活を振り返ってみて、見逃してしまっているかも知れない幸せを再発見してみるのも、また、いいんじゃないかなあ、なんて、ふと思ったりもしたのでした★ ![]() ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-12 23:18
| 映画
2005年 02月 08日
『マザーグースころんだ ~ロンドンとイギリスの田舎町』
ひらいたかこ・磯田和一著 (東京創元社) セブンアンドワイ(旧eS!BOOKS)のほうに、簡単に本の内容の紹介はしたので、ここでは、この本にまつわる思い出などを書いてみますね。 今は文庫として、表紙も新たに書き下ろされて、先月、出版されたばかりですが、実は、私がこの本を買ったのは、1990年か1991年頃。 当時は、A4変形判みたいな大きさのソフトカバーの本でした。 ひらいさんや、磯田さんは、完全にフリー旅行でイギリス各地を回られて、訪れた町のことなどを、本書で、可愛いイラストつきで紹介されています。 今でさえ、イギリス旅行関係のエッセイ本は数多くありますが、当時は、まだ、そんなに無かった頃。(インターネットすら、広まってはいなかったですから) なので、貴重な情報源である、この本を何度も眺めながら、イギリスの地方の町って、いいなあ、行きたいなあ、とずっと憧れていました。 お二人は、フリー旅行でイギリスに行かれていたので、列車のことや、バスのこと、B&Bに泊まったときのこと、または、駅から遠いB&Bまでタクシーにも乗らずに歩いたことなども書かれていて。 そこには、綺麗なイギリスの風景のことだけでなく、イギリスを旅行するっていうのは、こういうことなんだ、ということが、ぎっしりと詰め込まれていた気がします。 そして、イギリスにホームステイに行ったあと、私は毎年、イギリスを訪れることになるわけですが。 旅行で訪れた町のことなどを書きとめておきたいという気持ちもあって、それから、毎年、旅行に行くたびに、コピー誌の自費出版で、イギリス旅行記を書き始めました。 それが、今、ホームページの一部になっている、『ちょっと気ままな英国旅行記』です。 この『マザーグースころんだ』みたいな本を私も作ってみたいと、無謀にも思って、書き始めたんですよね((^^;; ホームページでは、そうは行きませんが、コピー誌のほうは、ほとんどが手書きだったり、列車の切符や美術館のチケットなどを貼り付けてみたり。 それは、ある意味で、私にとっては旅行記でもあり、「旅のアルバム」でもあったのかも知れません。 結局、番外編も含めて、5冊作りました。 それで、二冊目を作った頃だったか、『マザーグースころんだ』がキッカケで、私もイギリス旅行記を書いたこともあり、本の奥付に載っていた、ひらいさんと磯田さんの事務所に、私のコピー誌を送ってみました((^^;; お二人の本を読んで、こんな本を作りました、と手紙を添えて。 すると、お忙しい中、ご丁寧なお返事を磯田氏から頂きまして。 手書きのお手紙は、まさに、あの『マザーグースころんだ』の本で見ていた字そのもの。 作家の方から、お手紙を頂いたのは初めてだったので、とても感激したのを覚えています。 (まさか、お返事が頂けるとは思っていなかったので) お手紙には、ひらいさんと磯田さんの書かれたイラストのハガキも同封されていました。 次の年にも、新たな旅行に行ったあとに作ったコピー誌をお送りすると、同様のお返事を頂いて。 そのときは、お二人は、宮沢賢治関係の本を作っておられたようで、岩手の写真や、宮沢作品をイメージしたお二人の絵のハガキを同封して頂いた覚えがあります。 そのお手紙で、磯田氏から、出版社に旅行記を持ち込んでみたら、いかがですか、という嬉しい勧めも頂いたのですが、結局、持ち込まずじまいでした・・・。 もし、あそこで、一念発起して、東京の出版社に行っていれば、また、違った人生だったのかな、と今もふと思うことがありますが((^^;; でも、そんな、ちゃんとした本に出来るほどの内容ではなかったので、やっぱり、無理だったかな★ でも、この『マザーグースころんだ』に、もし、出会っていなければ、たとえ、ホームステイに行っても、イギリス旅行記を作っていなかったかも知れません。 いえ、たぶん、作ってはいなかったでしょう。 あのときに、そうやって、旅行記として残しておいたからこそ、旅行の思い出が色褪せることなく、今も鮮やかに思い出せるのでしょうし、その時に感じたことなどを書き留めてあったからこそ、あの旅行のときに感じた気持ちそれぞれが、何か、自分の中の大きな核のようなものになって、今も残っているのだと思います。 実際、5回目のイギリス旅行は、諸事情あって、旅行記にはしなかったのですよね。 そのときは、後輩二人と一緒のドライブ旅行だったのですが、もう、どこで何をしたかなど、今となってはウロ覚えで((^^;; しかも、そのときの写真の大半が行方不明になってるし。 (そのため、ホームページでも、そのときの旅行の記述は、簡単なものになってしまっています・・・) やっぱり、ちゃんと記録は書き残しておかないと、曖昧な記憶は消えていくものだなあと実感しました((^^;; 私にとって、そんな思い出がいっぱいある本が、このたび、文庫として新たに発行されたというのは、本当に嬉しい限りで。 (どうして、今頃になって文庫に?!と、最初、本屋で見たときには、ビックリしましたが。それだけ、この本が東京創元社の中でも、ロングセラーだったということなのでしょうか) 特に、この『マザーグースころんだ』のソフトカバーは、絶版になって久しかったので、文庫として出たことにより、もっと、たくさんの方々に読んでもらえればいいなあと思います(^-^) ![]() ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-08 09:18
| ノンフィクション
2005年 02月 06日
『ゴールデン・ボーイ』
原題;Apt pupil (1998年・アメリカ) ロスに住む、成績優秀でスポーツ万能な少年トッド。 彼は、高校の歴史の授業がきっかけで、ナチスのホロコーストに興味を抱く。 図書館などで研究を始めるうち、ある日、同じバスに乗り合わせた老人の正体が、元ナチス将校で、アウシュビッツ収容所の副所長だったクルトだったことを知る。 彼は戦争犯罪人として、世界中で指名手配されていた。 トッドは、彼の正体を暴露すると脅しをかけ、老人が、かつて収容所で行った残虐な行為を聞き出そうとするが、それとともに、トッドの中にも、今までに感じたことのない悪の感情が芽生え始め・・・。 「ゴールデン・ボーイ」と聞くと、まず、寺沢武一の『コブラ』を思い出してしまうのですが。 でも、映画の原題は、スティーブン・キングの原作のタイトルと同じで、「よく出来る生徒」、「優等生」みたいな意味。 多感な時期の少年が、その世代にはありがちな、悪に興味を持ち、しかも、それが、興味本位で触れてはいけなかった、あまりに邪悪なものだったため、禁断のパンドラの箱を開けてしまったが如くに、道を踏み外してしまう・・・という、そんな内容を指したタイトルだと思うのですが。 それが、なぜ、『ゴールデン・ボーイ』になったのかは、映画を見た限りは謎でした。 原作の翻訳時に、このタイトルがつけられているので、映画の邦題も、そのままつけたものなのでしょうが。 しかし、はっきり言って、原作のスティーブン・キングという作家が、私は苦手なのです((^^;; 映画では何作か、好きなものもありますが(『デッドゾーン』とか、『ショーシャンクの空に』とか)、多くの作品の中に潜み、描かれる、人間の邪悪性が露骨過ぎて、どうも・・・。 なんだか、そこまで醜い感情や、憎悪を曝け出さなくても良いんじゃ・・・と、つい、思ってしまいます。 負のエネルギーをまともに受けてしまうような、そんな感じがして、イヤ~な気分が残り、重苦しく感じてしまうのですよね。 しかし、この映画、原作のほうは、もっと、描写がスゴイらしいですね。 やはり、映画にする際は、映像になってしまう分、残酷な描写などを極力、抑えたのでしょうか。 そんな、苦手な内容の映画を見てみようと思ったのは、ひとえに、イアン・マッケランが出ていたから★ 映画『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役で、日本でもメジャーになった人ですよね。 『ロード・・・』の登場人物の中で、ガンダルフは二番目に好きな人なのです(笑) 「アクターズ・スタジオ・インタビュー」に出ていたときの、気さくな人柄に触れて、ますます、好きになりました。 そのイアン・マッケランは、この『ゴールデン・ボーイ』では、元ナチス将校の老人役。 今作では、彼の演技が、とにかく、スゴイのです。 世間の目を逃れて、ひっそりと、一人で暮らしていたはずの老人が、少年に脅され、長い間、自らの内に封印してきたはずの記憶を語り始めます。 やがて、少年の支配欲が目覚め、強い怒号を浴びせられるときの彼は、不本意に虐げられる弱々しい老人でしかないのですが・・・少年によって、再び、身体に染み付いていたナチス時代の記憶が蘇ったとき。 それまで、弱者側だったはずの老人の表情に、まるで、掌を返したかのように、かつてのサディスティックな一面が表れるのです。 その表情の変化、狂気を孕んだ残虐性。 そして、かつて、支配階級だった頃の制服を身に纏い、鏡に写った自らの姿を一人、見つめるときの、エロティックさすらも感じさせる、老人の恍惚とした表情・・・。 老いた、深い皺だらけの顔なのに、その陶酔した様が、あまりに色っぽく、ある種の戦慄が、ぞくっと走ります。 それが、彼の性癖から来るものなのかどうかは、分かりませんが、でも、彼以外の老人に、セクシーさを見出すことが果たしてあるだろうかと思うと・・・((^^;; 神々しい白い髭の人を演じるときとは、百八十度違った、邪悪な面や、何十年経っても忘れることの無いほど、心底、身についてしまった残酷さを演じてみせる、イアン・マッケランの確かな演技力は、この作品ならではでしょうし、そういう意味では、一見の価値ありではないかと思います。 (ただし、この種の映画が苦手でなければ、ですが((^^;;) ストーリーとしては、たぶん、原作がそうなのでしょうけれど、支配関係がもたらす、恐るべき人間の感情の変化が、たぶん、正確に描かれていると思います。 だからこそ、ホロコーストのような悲劇が、同じ人間の手で行われたのでしょうし・・・。 また、スティーブン・キングお得意の(?)、少年が大人になる、一瞬の狭間を描き、いみじくも、こういう手段で大人への階段を上ることになってしまった少年の悲劇を描いています。 でも、そこに、ちらちらと見え隠れするのは、「自業自得」という言葉。 少年の過ちを、過ちとして断罪してしまう。 そういう救いの無さが、やっぱり、いつも、シビアな現実を突きつけようとするスティーブン・キングらしいと言えるのかなあ。 見終わったあとの後味は、良くないですが、ストーリーテラーたる原作者の力量もあって、少年と老人の支配関係の駆け引きや、先が読めない物語の展開には、いったいどうなるのかと、ハラハラさせられます。 人間の恐ろしさや、隠された悪の一面を、ついつい、興味本位で覗き見たくなるのは、どうしようもない、人間のサガ。 そういう意味で、ドキドキしてみたい場合には、おすすめのサスペンス映画かも知れません。 ![]() そういえば、主役の少年については何も書いていませんでした((^^;; うーん・・・この髪型が、いわゆる、優等生タイプ? ちょっと生意気なカンジが鼻について、あまり、同情できなかったかなあ・・・。 ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-06 10:23
| 映画
2005年 02月 04日
『CUBE 2』
原題;CUBE 2 (2002年 アメリカ) ある日、目が覚めると、白い大きな謎の立方体の中に閉じ込められていた男女。 何故、そのようなことになったかは、誰にも分からなかったし、いったい、誰の手で、どのようにして、ここに連れてこられたのかも、分からなかった。 各立方体(キューブ)の側面には、隣のキューブへの出入口が6つついている。 それを通りながら、どこかに出口を探ろうとする彼らの前に、やがて、時間の早さや、現在と過去をも超越した光景が迫ってきて・・・。 この映画の前作に当たる『CUBE』(1997年・カナダ)を、かなり前にTVの深夜放送で見たのです。 午前二時頃、お風呂上りに、たまたま、つけたTVでやっていて。 しかし、その不条理性と、不気味さと、意味の分からない恐怖から目が離せずに、早く寝ようと思いつつ、ついつい、午前4時前の放映終了まで、全部、見てしまったのでした((^^;; とにかく、前作は、今までに見たこともない内容の映画だったし、その衝撃度はかなり大きかったです。 (見終わったあとも、いったい、自分は何を見たんだろう、と呆然とするような・・・) そして、この第二作目は初見だったのですが。 一作目とは監督も俳優もまったく別。 続編に、よくありがちなことですが、ただ、その設定を再び焼きなおしたようなカンジの映画でした。 キューブから脱出する謎も、前作のほうが、遥かに知的作業で、何か、そこに意味があるような気がして、ずっと、ドキドキさせられていましたし・・・。 (そして、あのラスト・・・ですから) 今回の第二作は、いかにもアメリカ映画らしい結末の付け方かな。 「解決編」なんてYV欄の紹介には書かれていたから、少しは期待していたのに、期待した私が愚かでした~((^^;; 結局、現実は、自分たちが思っている以上に不条理で、理不尽で、意味すら、もしかしたら、そこには無いかもしれない場所で、あがき、苦しんでいるという、そんな投影がされているのかもしれませんが、自分の自我やアイデンティティをゆさぶるような映画を見たいのなら、一作目の『CUBE』が断然、おすすめ。 人間は、全てのものに、何とか意味を見出そうとしなければ生きていけないものだけれど、それが、どうやっても見つからないときの恐怖。 そして、閉じられた密室空間の中で、人間がいかにたやすく、狂気に陥っていくか・・・。 そんな人間の本性すら、こんな単純な背景の中で、かいま見せられる映画です。(前作は) とにかく、訳が分からないけど、恐ろしい映画、というものを挙げるとすれば、私はこの『CUBE』を一番に挙げますね。 よっぽど、世のスリラー映画よりも、表面的ではない根源的な怖さに満ちていて、脳内を冷たい手で掻き混ぜられるようなカンジです。 ![]() こちらが第一作目の『CUBE』。 謎の空間からの脱出劇に、ドキドキ、ハラハラしてください。 ![]() こちらが第二作目の『CUBE2』。 四次元理論などが新しく入ってきていますが、誰に仕掛けられたのかも分からない罠は、前作のほうが、単純なぶん、怖かったです。 こっちでは、非現実性が高すぎて、現実から離れすぎちゃってたかな・・・。 ■
[PR]
▲
by akiko_mama
| 2005-02-04 08:40
| 映画
1 |